もくじ
❚人の話を聞き過ぎるってのもどうだか
ああ、何でかいつもこうだ。
人の話を聞き過ぎるせいで人の興味を引き付けてしまうのか、興味を強く押し付けだされてしまう。
別に自分はそんなに興味がある訳でもない。趣味としている訳でもない。
ただ話を聞いているだけ。応答しているだけだ。
なのに何故かそうしていると、勝手に同じ趣味を共有する盟友のような。
どんどんどんどん強くその趣味を押し付け始められてしまう。
それが苦痛で仕方がない。
管理人は押し付けられるのが大嫌いだ。
自分は自分。他人は他人だ。
考えも違うし、趣味・思考も違う。当然だ。
人がその時々で何を思おうが、何に興味を示そうが、示さまいが、その人の自由だ。
だから管理人は他人に事を強要する事はしない。
タイミング良く意気投合出来る瞬間があったならそれに乗るだけだ。
それ以降もずっと同じ様に続くとは思ってはいない。
自分で言うのも何だが、コミュニケーション能力はかなり高い方だと思っている。
どんな相手にだって意志を持って臨めば、どんな話にだって付いて行ける。
相手を高揚させ、興味を引かせる事も出来るだろう。
けれど、それが行き過ぎてしまう能力となっているのかも知れない。
相手の興味を引き過ぎてしまう事で期待を膨らませ、それが逆に自身への苦痛と変わって行く。
そしていつも終盤は強い意志で拒絶しなくてはならない状況になる。
そうでもしなければ相手はどんどん前のめりになって自分の趣味を強要して来てしまうからだ。
正直、どうしてそこまで他人に自分の考えを強要しようとしてしまうのか理解に苦しむ。
だってそうじゃないか。
他人は自分ではない。自分と全く同じ訳がない。人の意志は自由だ。強要されてしまうものではない。
❚自分の意志は最初から一貫していたはずだ
管理人はその時々で何を成したいかをなるべく明確に人に伝える様にしている。
今その行動をしている目的は何なのか。どこを目指して努力を重ねているのか。
その意志や目標は一貫しているし、周囲に伝えて来たはずだ。
それは時と共に変化はするだろうが、実現するか、夢砕けるまで、ブレる事はない。
それを何故人はズラそうとする?
そもそも自身の言い続けて来た目標、着地点こそが目指すべき所であって、正直他の事なんてどうだっていい。
友人の趣味に乗っかるつもりもないし、多少の興味こそあれ、そこに情熱など注げはしない。
とある馴染みの女性に自分が独立・起業したと伝え、共に共同作業が出来るかも知れない人物と出会えたと話をした時、彼女はこう言った。
最初は絶対に1人でやった方がいい。と。
彼女は深い人生経験があり、苦い思いも、辛い過去も知る人物で、その言葉には妙な説得力があった。
人なんて状況次第でいつどんな行動に出るか分からないものだと言っていた。
うん。それらの話は管理人がこんなドライな性格になってしまっているからか、ストンと腹に落ちて来た。
自分の目標はブレない。
youtuberで一攫千金を狙おうとか、インフルエンサーを目指そうだとか、そんな絵空事を描くつもりはない。
人には得手不得手がある。それを行うに適する人材なのか、自分が適材となるのか。
それよりも何より大切なのは、そこに情熱を注げるのかという事だ。
情熱が注げるのであれば何だっていい。
けれど夢物語的な事柄に自分は情熱は注げない。
高校生の頃に仲良くしてくれていた女性はこう言っていた。
石段を昇る様に足場をしっかり固めて進んで行ってるね。と。
そうだろうか。
もし仮に話していた石段が世間一般的に想像されている様な石段なのであったなら、自分はその石段を歩いてはいなかったはずだ。
自分が歩いていた石段は、保守的な石段。守りの石段。
自分を守る為の石段。次への道を閉ざさない為の石段。
それは誰かと共に歩ける石段ではないはずなんだ。
何が言いたいのか良く分からない記事内容となってはしまいましたが、とにかく自らの意志を突き進もうとする心を大切に。と。
自分の道は誰のものでもない。自分だけのものなはずなのだから。