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他人を変えてやろうとする事自体がナンセンス

もくじ

他人の性格を変えてやろう、社会人としての自覚を持たせてやろうとする事自体がナンセンスだと思うのです

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よくいますねこういう系統の人。ウチの同僚にも複数人います。恐らく過去、まだまだ未熟で半端過ぎる若造だった東京在住時代の20代の頃は管理人もそうだったと思います。でもいつしかこの考え自体が意味を成さない、むしろ人間関係に悪影響を及ぼす可能性すらある愚かな思考・行動だと思うようになったのです。

 

そしてこれは様々な経験をし、色々な本を読み、多くの人の意見を聞いた上での主観的な考えなのですが、「人は人の力によって他人を変える事なんて出来ない」という結論に至りました。

 

むしろ他人に対してコイツのこういった部分を正してやる!社会人としての自覚を教えてやる!教育してやる!なんて思っている人の方が今ではちょっと病的なんじゃないのか?とさえ思ってしまいます。他人に人生とは何か、社会人とは何かなどを説くほどに自分は他人よりも優れ、偉い人なのでしょうか。

 

例え教える側の意見が一般常識的かつ社会常識的だとしても、当の本人がその意見を受け入れず、全く別の考えを持っていたらそれはそうやって教えられ、強要される事自体が本人にとっては苦痛になってしまいます。

 

例えば勤務開始時間の5分前に現場に入ったとしましょう。勤務開始ギリギリで現場入りした本人は時間内に来ているのだから遅刻ではないと言います。しかし、社会人としての常識的な考えの中ではもう少し早く、少なくとも15分程度前には現場入りして準備しておくべきだ!という考えの職場も少なくないでしょう。

労働法的観点で考えると、例え5分前に来たとしても給与が発生する勤務開始前に現場入りしているので、これは遅刻には該当しません。

そもそも法的な拘束力もありませんし、労働契約上でも何ら問題ないと思います。でも職場によってはこれを遅刻と扱われてしまう場合がある。

 

こうなると根本的に始業に対する考え方が根本的に異なっているので、この考えを一方的な押し付け概念の下、正そうとしてもそりゃ無理な話なんです。

 

また、先輩に対してはこう接しろ。こう動くのが当然だ。などと個人の考えを他人に押し付けようとしても、考え方は人それぞれ違って当然なので、一方的な思考の押し付けは逆に反感を買いかねません。

 

例えそれがその人に取って後々いい方向になるような考え方、行動の仕方であったとしても、当の本人がその意見を真摯に受け止め、自分なりに消化して変化を起こそうとしない限りは考え方自体を変える事など出来る筈もないのです。

 

考え方の違いなんて、もっとシンプルであってもいいんじゃない?

意見が食い違った時、どちらが正しいのか正当性を互いに主張し合うのではなく、互いの意見をじっくりと聞き、すり合わせ、互いに妥協し合える着地点を模索する話をした方がよっぽど生産的なんじゃないでしょうか。

 

結局の所、落としどころってその人の考え方が面白いと思えるか、関心出来る内容なのか、単に全く理解できず何いってんの?的な感じなだけなのかも知れません。全く互いの考えが理解できないとなると話は平行線を辿るしかない訳なのですが、それでも着地点を互いに模索しようとしない限りは何も事は前進しない訳です。

 

人の話を「聞く」事が極めて重要だと思いますね。他人の話に聞く耳すら持たない態度で臨めば、それはもう一方的過ぎてそこから話は全く動きません。人って簡単な様で、なかなかに人付き合いは難しいものですよ。

 

だから多少面倒でも腰を下ろしてじっくりと相手と向き合い、会話する事が非常に重要になってくると個人的には思うんですけどね。

 

牙には牙を、怒りには怒りを、笑顔には笑顔を

笑顔は伝染するっていうじゃないですか?いつもいつもどんな時でも笑顔を絶やさずにいる人の周りには、やはり楽しそうに笑顔に溢れる人達が寄ってくる事が多いと思います。

 

逆になんだかいつも不機嫌そうな人の周りって、やっぱり不機嫌そうな人が周りを取り巻いちゃったりするんですよ。接する相手がめっちゃ不機嫌そうだった場合、意味もなく満面の笑みで接する事なんて難しいじゃないですか。

なんだかよく分からないけど、この人不機嫌そうだな~嫌だな~って感じになっちゃって、無意識に暗い表情、険しい表情になっちゃってたりするものです。

 

人間なんてこういった所は単純で、楽しそうな人がいれば自然と何だか楽しい空気が周囲を取り巻くし、怒り狂っている人の周りにはやっぱりピリピリとした圧迫感のある空気が流れちゃいます。

 

だから自分がいい空気を感じ、いい環境に居たいと思うのであれば、やはり健やかな表情で、笑顔でいる方が取り巻く空気はよくなると思いますし、周りの人もそっちの方が心地よいと思いますよ。人と人とは鏡のようなものです。怒りには怒りを、笑顔には笑顔を。っという事ですね。

 

時代はカメレオンスタイルを求めている

過去、リーマンショックが起こっってしまった頃だったでしょうかね。とある経済紙の記事にこの先の時代はカメレオンに徹っするスタイルでないと生き抜いていけない。といった内容の記事を見た事があったんです。

 

カメレオン的なスタイルとは。その時読んだ記事には何か一つの職種に捕らわれるのではなく、状況に応じて何者にでもなれる、どんな仕事にもそこそこ対応する事が出来るといったカメレオンスタイルを身に着けないと、この先の未来を生き抜く事が難しくなるだろう。という内容の記事でした。

 

近年、正解経済は不安定な状態が続いており、国内だけに限らず、世界的に異常気象や過去に経験した事がないくらいの自然災害などの影響で、突然職を失う事になってしまったり、突然住んでいる家がなくなってしまったりといった状況に直面する可能性も少なくなくなってきています。

 

昭和の時代の頃までは、大手企業の正社員として勤務し、マイホームを購入し、家庭を築くのが人生最大の幸せ、最高の安定とされていましたが、現代においてはそれら全ての事柄に対しても一定のリスクが考えられるようになりました。

 

どの企業の正社員であろうとも、如何なるポジションに居たとしても突然職を失う可能性すらある。職を失って離れた場所へ転職せざる負えなくなった場合にマイホームを所有していたらそれが足枷となってリスクとなる場合も考えられる。今現代においては安定なんて言葉はどこにも存在しない。いやむしろ遥昔から安定なんてものは存在しなかったはずなんです。運よく好景気時期を経験し、生涯安定という思想を夢見てただけ。

 

だからこそ現代においてはカメレオンスタイルの重要性が際立ってきてると思います。

 

家は賃貸やホテル、シェアハウス、車はリース、物は出来る限り最小限で、そつなく何でもそこそこにこなせる。こういったシンプルかつ変化に柔軟なライフスタイルだと、例えば地震や豪雨被害なんかで家は崩壊し、車は流され、職も失い...となったとしても、ほとんどがレンタル品だし、物も生活に必要な最低限のものだけしか所有してなかったのであれば多きなダメージにはなり難いはず。

 

再起するにも行動に移れるまでの期間が早いはずなんです。

ただしこの考えは個々人で大きく考え方が異なる場合もあるはずなので、一概に一昔前までのマイホームを購入して、いい車を買って、豊かな家庭を築いて、といった日本特有の幸福思想を否定する事など出来ません。

しかし、その構想で事を進めるのであれば一定のリスクは想定しておくべきなのです。現代においては何を以てしても平穏・安泰などどこにも存在しないのですから。

 

現代は刻々と早いスピードで様々な事柄が変化しています。この時代の急激な変化にどこまで対応していけるのかが、この先の未来への大きな分岐点になりそうな予感はしています。